トーカチ由来

今月九月十四日は、旧暦の八月八日で、トーカチ祝いの日です。

このトーカチの祝いは、数え八十八歳のお祝いで本土の米寿祝いと同じですが、八十八を一つの字にまとめた米の字にちなんで、「米(よね)ぬ祝(いわ)」とも言われ、「八升八合」のお米をざるに盛って斗掻棒三本を差し、床の間に飾って祝を行うことから、トーカチ祝いと呼ぶようです。

その日は長寿を祝ってご馳走を用意し、親戚縁者でお祝いします。

今回は、そのトーカチ祝いの由来となった昔ばなしを紹介します。

(1977年8月沖縄県本部町で聴取:1899年(明治32年)生まれの方のお話をもとに再話)


〈子供の寿命〉

昔、あるところに、とても体が大きく美しい若者がいた。若者は十八歳だった。

ある時、若者の前に、かたかしらを結ってかんざしを挿した、白髪のお爺さんが現れた。

「わたしは天からの使いだ。お前は体格も、姿、形も人より勝っている。

だが、天の星の神様によって十八歳までの命と定められている。お前を見たら気の毒でたまらない」

といって、白髪のお爺さんは、若者の手を取って涙を流した。

「だが、星の神様が定めたことだから仕方がないね」と言って、白髪のお爺さんは去って行った。

若者は家に帰ると、「お父さん、白髪のお爺さんが『お前は十八歳までの寿命と定められている』といって泣いて帰ったよ」と、父親にいった。

父親は、「それでそのお爺さんはどの辺りまで行っているのだ」と聞いた。

息子が、「もう一里ほど行っていると思います」と答えると、父親は馬を飛ばして、白髪のお爺さんを追いかけた。

お爺さんに追いつくと、父親は馬からおりて、お爺さんの前にひざまずき、

「先ほどの十八歳の子どもの父親です。あの子は私たちのたったひとりの子どもです。

どうか、子どもの命をもう少し延ばしてください」と、何度も何度もお願いをした。

お爺さんは、「そうか。それではわたしが一緒に行ってお願いをしよう。

何月何日に寿命を定める星の神様が友人とふたりで碁をお打ちになる。

ふたり分の酒と肴をたっぷり用意しなさい」といった。

碁打ちの日、星の神様と友人が碁に夢中になっている時、父親と白髪のお爺さんは、手を伸ばせばすぐ届くところに酒と肴を置いた。

ふたりの神様は知らず知らず酒を飲み 肴を食べ碁を打ち続けた。

やがて、碁打ちに満足すると、側にいる父親と白髪のお爺さんに気がついた。

「何だね。お前たちは」と神様が尋ねると、白髪のお爺さんは、

「はい、この人はあなたが十八歳までと寿命を定めた若者の父親です。

一度定めた寿命は延ばせないとわかっていますが、あのような立派な若者を見るにつけ、あまりに気の毒です。

このようにご馳走も用意してお願いに来ていますので、聞き入れてやってください」といった。

すると、星の神様は「それで、私たちはそのご馳走を食べたのかね」と聞いた。

「はい。碁を打ちながらすっかりお召し上がりになりましたよ」

と白髪のお爺さんがいうと、星の神様は、

「そうか、ご馳走を食べたとあっては願いを聞かないわけにはいかないな。

だけど、八年しか延ばせないよ」というと、

父親は、「もう何年でもいいです。八年でもいいです」とお願いした。

すると、星の神様は寿命の帳簿を開くと、

「あと八年延ばしてあげよう」といって、

十八の上に八の字を書き足したら、八十八になってしまった。

星の神様は、「あれまあ、書いてしまったのは仕方がない。

あと八年といったのに、八という字を書いたら八十八になってしまった」といった。

それで、若者の寿命は八十八歳になったということだよ。

それで、八十八歳の八月八日には米寿(トーカチ)のお祝いをするようになった。


①子供の寿命‥‥本土及び沖縄全域から聴取される話型で、中国の四世紀ごろの文献である干宝が著述した『捜神記』にも、易の名人である管輅が、顔超という少年が十九歳で死ぬことを予告すると、親が子供の延命を願ったので、死を司る北斗星と生を司る南斗星が碁を打っている場所を教えたので、親は酒肴を用意してその二神が碁を打っているところに行き、延命を願ったところ、閻魔帳に書かれている顔超の十九の数字に返り点を打ったので、顔超は九十まで長生きした話として掲載されている。この話型は、沖縄では八十八歳までの寿命を与えられたと伝えており、延命の年齢は違うが、本土よりも整った形で伝えられていることが多い。

②欹髻(かたかしら)‥‥琉球王府時代の成人男子の髪型。

③斗掻‥‥斗は計るという意味で、八十八歳の長寿の祝いをいう。このトーカチの祝いは、八十八を一つの字に纏めた米の字にちなんで、「米(よね)ぬ祝(いわ)」とも言われ、一斗升を計るときに用いる竹の端を斜めに切り落とした斗掻棒を盥に盛った米に差して祝を行うことから、トーカチ祝いと呼ぶ。(遠藤庄治)


※トーカチ由来は「子供の寿命」というタイトルで県内のどの市町村でも聴き取りされています。

沖縄県立博物館・美術館ホームページ『ウチナー民話のへや』で「子供の寿命」で検索すると52件の話が出てきます。

その中のひとつ読谷村の照屋寛良翁がお話した「子供の寿命」はおじいさんの方言語り(他に現代方言と共通語語り有)と動画で楽しむことができます。

沖縄県立博物館・美術館「ウチナー民話のへや」
子供の寿命:https://okimu.jp/museum/minwa/1582440055/